カルシュの親類には1937年ショパンコンクールで入賞したピアニスト、チェンバリストであるエディット・ピヒト・アクセンフェルトフライブルク音楽大学教授)がおり、多くの日本人弟子を残しています。また、モラクセラ・ラクナータ菌を発見し、現在の眼科学に大きな影響を及ぼし、訪日した世界的権威のテオドール・アクセンフェルト博士(フライブルク大学教授)がいます。なお、現在ベルリンの博物館に歴史的重要資料として厳重保管されている「ヒトラーの行動記録(16ミリ)」を戦後ミュンヘンで押収し、保存していたのが長女メヒテルトの夫ヘルベルト・セイント ゴアであります。ライン川流域のセイント・ゴア市の200年前の富豪で市長を勤めたラツァルス・セイント・ゴアは彼の祖先であり、それ以前の宗教上の功績から聖の称号を授与されていると思われます。最近、顕彰されて子孫がドイツから大歓迎を受けました。

1968年に彼を慕う、かつての生徒らが発起人となって日本に招待したことがあります。教育の荒廃が各所で声高に叫ばれているさなか、彼が教育者として ハーンとは全く別の教育の見本を残した大きな貢献と、生徒や近隣の人々との密な交友から彼の存在の偉大さを評価する必要を感じております。

カルシュには現代の教育に大きく影響を及ぼしている人智学と哲学者シュタイナーを日本に紹介した大きな業績があります。一般には戦後に紹介されたと言われていますが、1925年に来日したカルシュ夫妻が交わした1923年当時のシュタイナーに関するノートが現存し、スイスのゲーテアヌムでのシュタイナー信奉者同士の交流も確認されています。なおシュタイナーの思想の流布については、昭和10年頃を境にヒトラーによって禁じられましたが、密かに彼は日本国内でシュタイナー思想を広めていたことが知られています。戦後これが復活して、日本でもシュタイナー学校が創られ、最近は一貫教育の象徴となっており、教育史上、カルシュは重要な位置を占めています。多くの宗教哲学者(三笠宮崇仁殿下、西田幾太郎、鈴木大拙、高橋敬視、長屋喜一)との交流も記録とともに確認されております。さらにカルシュが当時の高校生への講義のなかで、「西暦2000年頃、ヨーロッパ文明が自己矛盾から他との軋轢が各所で生じること」を語った注目すべき記録を見ることができます

歴史の狭間に埋もれた偉人・カルシュ博士について

カルシュが14年住んだ松江市奥谷町の「官舎」が一時は大学当局の取り壊しの決定にも拘わらず、地方新聞社との共同の保存呼びかけが文化財登録への道を開きました。2009年10月には官舎の保存修理が完了の運びとなりました。調査の結果とともに、報道機関、松江郷土館企画展示会、日独協会の顕彰記事のお陰で、カルシュのことが世の中に知られるようになったからでした。それが、NHK松江放送「しまねっと:ドイツ人教師の住宅を保存へ」と進展し、島根大学による文化財登録の申請の運びとなった経緯があります。やがて小生が管理しているカルシュの遺品(膨大な哲学の未発表原稿、写真、絵画、調度品など)も広く世に公開できるものと期待しています。というのも広く彼の残した足跡が全国的に確認できるからです。

ドイツの文化と風土に、若き日に触れる機会をドイツ政府から与えられた小生がドイツのシュトゥットガルトの小さなホテルでカルシュ博士の次女に偶然に出会って、このようなことに携わることになったのは、小生に賜った天命と考えて調査・顕彰に尽力してきました。